外角一杯の棒球

ペドラザです。お笑いをやっています。たまにこっそりと更新します。

また路頭に迷う

久しぶりに書いてみる。

前回の更新から約3ヶ月経過した。

自身の周辺状況は日々目紛しく変わり、喜怒哀楽の交代浴をぐるぐると繰り返し、心臓にかかった負荷でぐったり来ている現在である。

 

今後、お笑いに対してどういったスタンスで向き合えばいいかわからなくなってしまった。

現在メインのコンビについて、来月以降の活動のスタンスが変わり、芸人をどれだけ続けられるのかがわからなくなってしまった。

 

これはどうしようもないことで、着実に導火線が短くなっているのは自分も気付いていたはずだった。見えないフリをしてしまっていた。

 

結局、俺はひとりになるのか。

 

ひとり残されて何ができる?

 

そもそも、ひとりになってまで続けたいことなのか?

 

舞台に立つことで現実から目を背けていただけなのでは?

 

こうなってしまうと、どうもネガティブな言葉しか浮かんでこない。続ける理由を探しているはずなのに、口をひらけば出来ない言い訳しか出てこない。

 

求められに行ったとしても求められない現状が自分をそうさせてるんだろう。悪かったです、ちょっとでも出来ると思っちゃって。

けど、やっぱり僕ら面白くないですか。

お笑いってそんな要素色々いりますか?

思ってるだけですか?

 

真剣に向き合っていたい。

だからこそ、辛くて仕方がない。

 

ゆっくり休憩するか。

 

地面にする

お笑いを始めて、気づけば4年目になる。

途中、コロナやら何やらで活動が止まっていた時期もあるが、それでも少しずつライブに出たりネタを作ったりしていたので、よく継続してきたなと思う。

 

以前組んでいたコンビはシステム漫才を軸にネタを作っていた。

理由としては、舞台経験の少ない自分達が他の人たちから秀でて見られるために、普通の漫才をしていてはいけないと考えたからだ。

 

だから、変化球の漫才を作り続けた。舞台に立つ数が増えるに伴って舞台慣れできれば、と思っていた。

時々、そのやり方を否定されることもあった(「人間が見えてこない」はよく言われた)が、それしかやる方法がなかった。

 

結局、システムの出口を見つけられないうちに前のコンビを解散し、僕は別のコンビを組んだ。1つは漫才を軸としたコンビ、もう1つはコントを軸としたコンビだ。

 

それぞれ、それなりに結果を出すことはできた。舞台慣れも徐々にしてきたことで、声も大きく出すことができるようになった。

 

その成果が出たのが、先日の大会。

前のコンビの2回目の舞台であり、お笑い熱を高めてくれた大会。

コントを主体としたコンビで出場した。

かなり気合が入っており、そして、その気合に見合ったいいパフォーマンスができた。声も出すことができたし、振る舞い方や表情まで意識して演じることができた。

その辺りはこの1年半で成長できたと確かに実感した。舞台数に立ち、一回一回に意識を持っていっていたことは間違いじゃなかったと確信した。

 

ただ、自分の中でなんとなくモヤついていた課題についても、その大会ではっきりした。

 

「ひとつの設定で乗り切ろうとしすぎている」

 

我々のネタの作り方は

「バラシまでの設定を考える」

「それに関するボケを2人で考える」

「ボケを繋げたものを一本の台本にする」

といった流れを踏んでいる。

 

バラシまでの流れは正直、大きく外すことがない。そこへの持って行き方に関しては自信を持っている。

ただ、問題は中盤〜終盤への展開のさせ方だ。

 

我々のネタは、上記の通りバラシの設定を踏まえた上でボケを考えているため、「バラシのボケを可愛がりすぎている」という問題がある。可愛いボケはずっとなぞりたいと思うが、どこかでライオンの子供のように崖から突き落とすことが必要だ。

 

一定可愛がってもいいとは思うが、そこを大事にし過ぎてしまうと、展開がさせられない。ひとつのテーマを次の段階に展開させるために、バラシのボケをどこかで地面にして、次に踏み出さねばならない。

 

要は、一本の台本にし終わった段階で、

「さらに要素を足して、ボケしろがないかを考える」ことが我々には必要なのだ。

 

そうして展開を作り、無駄なやりとりを省き、ネタを完成させれば、きっと今よりもネタが向上するはずだ。

 

「おもしろいけど、バラシまで」

と思われないように、そこから一歩踏み込む力をつけられれば、我々はもっと強くなれる。

 

あとは、先に違う笑いの取り方ができる技術を身につけ、バラシまで我慢できるようにする。

それは、個のキャラや振る舞いを高めるだけだ。

 

お笑いがしんどくなること

私はアマチュアでお笑いをやっている。

 

いわゆる「社会人の趣味としてのお笑い」と外見上はなるわけだが、実際のところを言うと、「趣味以上、仕事未満」みたいな感覚でやっている。

 

完全に趣味としてやるなら完全に楽しめばいいし、ネタについて試行錯誤はすれど楽しく漫才をやるのがいいし、必要以上に悔しがる必要もない。

 

自分はどっちかと言うと趣味寄りではあるが、活動量に比例してどんどん「仕事」のベクトルへ進んでいっている気がする。

 

休日のバトルライブに負けると異常に悔しくて翌日からの仕事に影響したり、賞レース期間や大事なバトルライブ前は、仕事中にでもネタの改善点なり見せ方なりを考えたりする。

 

こうなると、どんどんお笑いが「楽しい」だけじゃなくなってきて、「しんどい」ものになる。

もちろん、結果が付いてきたときの喜びは一入であるけど、そこまで9割しんどいことばっかり。ネタ考えるの嫌になることもある。けど、それをやらなもっと後悔することになるのは知ってるからやる。

 

学生時代なんもせず社会人30歳手前からお笑い始めたから、短期間で結果出さなあかんと思い、ネタの見せ方とか自分達はどんなネタならウケるかとかめちゃくちゃ考えて頑張ってきたし、ホンマにそうやって取り組んできたからこそ、ちょっとずつ結果が付いてきてるのだと思う。

 

だから、ものすごくしんどい。

そういうときに、僕はお笑いを観に行く。

おもろい人らのライブを観に行くことによって、あぁ、こんなんでしょげてられへん、また頑張ろう、と思う。活力になる。最高の栄養剤。

 

けど、周囲の話聞いてたらどうもそうじゃない人がおる。

「人のライブ観に行けない」

「人の単独みたら食らっちゃう」

みたいなお笑い界隈の人らがけっこう周りにいる。

 

僕は、なんか半分気持ちわかるな〜と思い、

「対比しちゃうとしんどくなりますよね〜」とその場では返すが、本音としては、

「しんどくなる時間あったら自分にできることを努力するしかないよな」と半分思っている。

そして、

自分がもしそう思うようになってしまったら、絶対お笑い辞めるやろなとも思う。

 

お笑いが好きで好きで仕方なくてお笑いをやる側に立ってみたいと思って29で始めてるのに、結果笑い嫌いになるのはかなり悲しい。

お笑い好きの醍醐味を味わうためにやってるから。

努力して結果を出して、色んなことをもっとわかるようになって、自分の中のお笑いを広げたい。そのためにも、これからももっと色々なネタを観ていきたいから。

 

もちろん結果も残したいけど、それって色んな場所に呼んでもらって色んなおもろいライブを生で見て笑いたいからで。

 

40,50,60と歳を重ねても、新しい芸人さんのネタ見てゲラゲラ笑う人生を送りたいです。

 

ここ最近ずっとしんどいな〜と思ってたんですが、

昨日今日と面白いライブを立て続けに観ることができ、ゲラゲラ笑ってメンタル回復したので、まだまだ自分は大丈夫だなと思いました。

お笑い偉大すぎる。

がんばろ。

 

 

 

 

 

 

何もない。

ここ最近、抜け出せない何かから抜け出したいという気持ちがとても強くある。

 

日常のベルトコンベアに乗って進んできたはいいものの、今のスピードがしんどくなってきて、「ちょっとスピード緩めてくれませんか」と言うも、コンベアはスピードを緩めてくれない。

 

仕方なく乗ったまま進んでいく。そこに発展も欠落もない。ただ乗っかってる状態が続いている。だから体調がずっと悪い。全て投げ出してしっかり休みたい。無理をすると途端にダメになってしまう性格なのは自分で分かっている。

 

そして、今がどの工程なのかも僕は知らない。

知らないから、気持ちも落ち着かない。いつ終わりが来るのだろう。いい終わり方でも悪い終わり方でも、どっちでもいい。とにかくいったん着地したい。

 

僕はこの社会で生きていくのに不適合な人間だ。人に興味がない、ひとりでコツコツやるのが得意で、チームプレイが苦手、都合悪いことが起こるとすぐ不機嫌になって態度に出る、雑談が苦手。もう辞めたい。

 

「かと言って、辞めて生きていけるのか。」

「とはいえ、一人で何ができるのか。」

 

今の自分を繋ぎ止めているのはそんなネガティブな理由だけ。ちょっとした衝動さえあればいつでもストップボタンを押してしまえる。

 

辛いな。

辛いけど、死ぬのはもっと嫌だ。

死にたくないから生きる。

まだ死にたくない?いや、まだ、というか。

死ぬのすら面倒。

プツンと電気が切れてくれたらいいのに。

 

単独ライブが終わった。

もっと泣けると思ってた。

全然泣けなかった。

 

学生時代のイケてない自分を変えたくて、自分はちゃんとやれば面白いことができると証明したくて、馬鹿にしてきた人達を見返したくて、何としても納得いく成果を出したかった。

 

情けない。もうちょっと頑張れたやろと思ってしまう自分に。

 

お陰で、まだお笑いを続けたいと思ってしまった。

もっと面白くならないと、もっとウケないと、意味がない。冗談じゃない。こんなんじゃ何も残らない。

 

自分は思ったよりも頭が悪かったし、出来が悪い人間だった。

これがわかっただけでも収穫。

 

けど、コツコツ続ければ成果が出る人間でもある。

 

新しいことにチャレンジして壁に当たってをいい循環で繰り返すことができていて、ありがたい。けど、それ以上に悔しい。納得いく漫才がコントができるようになりたい。

 

ならなければならない。

 

ならなければ、辞められない。

 

「俺は面白い」と自分で自分を肯定させられるまでは絶対にお笑いを辞めない。

 

自分に決着をつけられるのは自分だけだ。

 

義務感

お笑いを始めて3年が経とうとしている。

 

2019,2020は、賞レースの時期はそれなりにしんどかったものの、それなりに趣味としてお笑いを楽しめていた。

 

しかし2021年は、それがうまくできなかった。

義務感で走り続ける一年になってしまった。

これに関しては、誰も悪くない。

 

「いいネタができたからライブにエントリーする」「このライブのオファーを受けたからネタを作る」

 

この循環が、うまく回らなくなっているのを自分の中で感じた。

仕事終わりにライブに出て、ありネタを無意識にやり、ウケても滑っても気にせず帰るようになった。

 

もちろん、ライブの本数が増えたことで場慣れし、うまく立ち回れる場面も多くなったのはメリットだったなと思う。

 

しかし、ひとつひとつのライブに目的を持って取り組むことはできていなかった。特に賞レースを終えてからのライブは、「ありネタを流す」場面が自分の中で多かった気がする。如実に結果が出ない時期のネタはそういうことだ。

 

「何をしているんやろ」

と思うことが多すぎて、本当に今でも全ブッチして辞めてしまおうと思うことがある。二度と関わらなくなってしまうだろうけど。それだけしんどかった。仕事で異動したことも含めて。

 

やっぱり、俺にはフリー芸人を名乗る覚悟はない。お金を払っていただいて観てもらってる身ではあるが、「アマチュア」で「趣味」のお笑いをやっている方が気が楽。出世欲はないけども、仕事は続けていきたいし、仕事でダメにはなりたくない。

 

元々、物事を続けるのが苦手で、何事も本気で取り組み出すとしんどくなるから途中でフェードアウトしてしまう人生を送ってきた。お笑いは続けたいけど、自分の時間もできるだけ確保したい。こんな奴が面白くなりたいというのはもう戯言になってしまうのかもしれない。

 

どうにか義務感から抜け出すために、なんとかひとつひとつのライブで目標を見つけて、それを達成できるようにしたい(結果はともかく)

 

その目標の積み重ねで達成できる目的をきちんと定めないと。何がしたい?

 

「多くの人に面白いと認められたい」

「プロの人にネタで勝ちたい」

「ネタだけで我々を好きになって欲しい」

 

承認欲求ばっかりや。

けど、こうやって文字に起こすと目標を定めやすくなった。

「プロのいるバトルライブで勝つ」

「舞台上の立ち居振る舞いをプロにする」

M-1ええとこまで進む」

「おもしろいネタを書く」

「"ネタ"以外の"人"もおもろいと思ってもらう」

とか。

 

挙げ出したらきりがない。

それだけやれることがあるってことや。

のびしろしかないわ。

 

一個一個のライブを作業にしない。ひとつひとつ、上記の目標を達成するための試験の場にしていく。そうすりゃしんどさも減るはずや。

 

そういえば大学時代も、サークルで目的目標を大事にしよう言うてたな。結局ここに帰ってくるんやな。

 

やってやろう。

 

 

 

 

 

才能

才能が欲しいなぁと、常に思っている。

しゃべる才能、正統派のネタ作る才能、変なネタ作る才能、キャラクターを知って活かせる才能

全部欲しい。強欲と言われてもいい。

大したことないけど全財産はたいて買えるもんなら買う。

それだけ全てに才能がない。

 

僕はこれまで見てきたものからなんとなくエッセンスだけを感じ取って、それっぽいものを作ることはできる。

ただ、圧倒的なセンスがないからみんなの印象に残らない。その場でちょっとウケるだけで帰ったらみんな忘れてる。

 

圧倒的にウケたいし、印象に残すことをやりたい。けど自分にはその才能がない。

 

せめて演技力でもあればな。もうちょっと色々器用に演じられたら幅広くネタ作れるしおもろいことできるのに。

 

悔しいし悲しいし、最近は舞台に立つたびにお笑いに関わるのを辞めたくなる。

おもろいって言葉以外いらん。圧倒的な印象以外いらん。軽ウケして後に残らんようなネタはもうやりたくない。もっと繰るなり、もっと斬新さを出すなり、やらなあかんやろ。何妥協してんねん。

 

 

「…いや、待って。

社会人の趣味やろ?

なんで妥協したらあかんの?

仕事して給料もらって、合間でライブ出て、軽くウケて、それでええんちゃうんか。

お笑いで、ネタで、生きていくわけちゃうやろが。何が不満やねん。嫌なら辞めたらええやんけ。」

 

 

うん、俺はそれで食っていくわけじゃない。あくまで趣味としてのお笑い、プロになるわけじゃない。

最初は「M-1出たい」「芸人っぽいことしてみたい」でネタ始めたけど、やってみて、ちょっと結果が出始めて、褒められるようになったら、もう辞められへんねん。

 

けど、もう趣味じゃなくて人生になってもうてん

 

日常生活ずっとずっとずっとおもろいこと落ちてないかって視点で周り見てまうし、店の看板見ておもろい設定ないか考えたり、ツッコミどころ探したり、そんなんしかできんようになってもうたから。

 

 

「病気やなあ。けどお笑い辞めたらその病気治るんちゃうん?」

 

 

治らんと思うなぁ。

うつ病と一緒で、意識してなくても知らん間に再発しちゃうと思うよ。

仮に辞めても、俺はこれからも同じこと考えるし同じような視点で周り見るし同じようにツッコミどころ探す、無意識に。それを表現できる場がなくなるだけで。

 

 

 

「厄介やなぁ。けどまぁ今辞めへん理由にはならんやろ?またやりたくなった時に始めたらええやんけ。」

 

 

今はそうもいかんねんな。自分は才能ないことに気付いてるし周りも薄々気付いてるけど、自分は1人じゃなくて相方がいる。せめて賞レースは責任持たなあかん。

 

 

 

「え、責任感で続けんの?仕事やん。」

 

 

 

仕事かもなぁ。今は仕事って考えちゃうときも多いなぁ。だからしんどなるんかもしれへんなぁ。特急電車乗って最寄駅寝過ごしてもうたから、引き返さなあかんのわかってて10駅先まで乗ってなあかん状態や。

仕事でも人生でも、時々褒めてもらわな、飲み会とかで発散できな、続けてられへんやん。それと一緒よ。結果出すなり評価されるなりしないとやってられへん。

 

 

 

 

「平日も仕事、休みの日も仕事」

 

 

 

アホやろ?

自分のネタに絶対的な自信が持てない状態がずっと続いてて、毎回周りの人の方がネタ褒められてて、自分は褒められるの内輪だけで。情けない。

 

 

 

「なんかちょっとでも楽しいことないん?」

 

 

 

あぁ、ライブ後に酒飲むのは好きやなあ。

酒飲んでネタのことあれこれしゃべって。

去年のM-1前のライブ後に10人くらいで行ったの楽しかったなぁ。大勢入って、みんなウケて、アホみたいなこともネタのこともしゃべって。けど、あの日は自分らがトップ近くくらいのウケ方したからこそやったんやろなぁ。結局自分が一番なんよ。

 

 

「まぁみんなそんなもんちゃう?」

 

 

 

だから1番ウケたいし印象に残るネタやらな意味ないねん。それができないと、やればやるほどしんどくなる。明らかに完成度の低いありネタをかけるくらいなら新ネタをいっぱいかけた方がいい。あーあ、やってられへん。

 

 

「しんどそうやなぁ」

 

 

 

前やってた趣味のマラソンと違って健康に良いみたいなこともないしやなぁ。声が出るようになっただけや。

 

 

 

「なんやそれ。もう辞めろよ。」

 

 

 

せやなぁ。けど、もうちょっとやねん。

もうちょっとで良いネタ書ける気がするねん。

明日ペンを持ったら、

明日パソコン向かったら、

とんでもないネタ書ける気がするねん。

 

 

「当たらへんパチンコやってるんちゃうぞ」

 

 

 

そんなもんやねん、お笑いって。

しんどいとこごめんやけど、もうちょっと踏み止ってや。

 

 

 

「しゃあない人間やな」